第2回 その男、KOBAMETAL-コバメタル-小林啓
『妥協したら終わっちゃう気がしたんですよ』
今、この記事を読んでいる人達は、どんな職業で、どんな世代の人達だろうか。
何を想い、何に重きを置いて生きてきた人達だろうか。
いずれにせよこの国で仕事をした事がある人であれば『妥協をしない』という生き方がどれほど難しく、どれほどの非難を浴び、どれほど己の命を削り、どれほどの睡眠時間を奪って行くか、しかしながらそれがどれほど凛として美しい様であるかを良く知っている事であろう。
どれほど強い信念があっても、人は迷う。必ず迷う。
仕事なんてものは一人で出来るものではないから、仲間の事を想えば尚、迷う。
しかしながら小さな妥協は小さなほころびを生み、やがてその穴から大切なものがボロボロとこぼれ落ちてゆく様を痛いほど知っているが故に
その男は『妥協をしない』という道を選んだ。
無理をしてでも成すべきだと思った。
そしていつしか、その凛とした美しい様に、
観客は地響きにも似た盛大な拍手を贈るようになっていった。
【BABYMETALプロデューサー、小林啓(こばやしけい・コバメタル)】
前回の記事同様、まずここにもしっかりと手を入れなければ
絶対にBABYMETALを正しく理解することができない。
彼は常々こう語っている。
『敢えてお客さんに意味を解説することはしません。
エヴァンゲリオンの劇中シーンの謎みたいに、後でみんなで探り合って楽しんでほしいんですよ。100人居たら100人のBABYMETALがあっていいと思うんです』
ならば小林啓。
貴方に対してだって「行間を読む」価値はあるはずだ。
いや、貴方にこそ、と言うべきである。
この記事の読者には予め言っておく。
今回はかなりの長文になる。しかも単調である。
しかしこの手法でなければそれぞれの『KOBAMETAL』は創造できない。
どうか徹底的に想像力を働かせ、己と照らし合わせ、感情移入をし、俯瞰し、記事の向こう側にあるものを見て頂きたい。
より多くの人が『今』起きているこの『BABYMETAL現象』の旨味を享受しますように。
ちなみにみなさんは今まで、『プロデユーサーKOBAMETAL』にどんなイメージを持っていただろうか?
プロデューサーといえば・・・
もしもこんなイメージを持っていたとしたら、それは間違いだ。
実際は、
これだかんな。こばめたる。
彼はつまり、大人に成りきれないメタルキッズなのである。
それでは始めよう。
【 その男 KOBAMETAL 小林啓 】
本名 小林 啓
俗称 KOBAMETAL(コバメタル)
小林”コバP“ケイ(さくら学院 重音部顧問)
所属:株式会社 AMUSE
推定入社:1996年頃
推定年齢:41歳
職業:プロデューサー
メディアプロモーション・マネージメント・音楽制作
入社当時CASCADE(1995デビュー)やSIAM SHADE(1995デビュー)等のメディアプロモーションを約2年担当。
その後社内のインディーズレーベルでハードコア、パンク等のラウド系バンドの制作宣伝を担当。
2009年の可憐Girl'sの任務満了を知ったあたりから、元々温めていた「BABYMETAL的なアイデア」の主力メンバーとして中元すず香に目を付けていた。
プロジェクトアイデアはいくつかあったが「メタル×アイドル」のアイデアが社内プレゼンを通り、さくら学院内の部活動『重音部』の顧問という形でBABYMETALを作っていく。
BABYMETAL作品の構想・構成すべての責任者・中心人物であり、作曲から舞台演出、映像、広告などなど。BABYMETALに関する全ての事柄において執拗なまでに細かい指示を出す。『21世紀・歴史に残るプロデューサー』のうちの一人。
『子供の頃、ルチャリブレが好きだったんですよ』
ルチャリブレ/メキシカンプロレスの事。よく飛ぶ。
『その他にロードウォリアーズとかグレートカブキとかも好きで、あの雰囲気が好きだったんです。』
ロードウォリアーズ(プロレスラー)
『メタルに入ったきっかけはお茶の間に登場したデーモン閣下。聖飢魔II。蝋人形の館ですね。(啓少年、当時12歳(小学校6年生)』
聖飢魔Ⅱ / 蝋人形の館 (1986年)
その後、並行してマイケルジャクソンなどポップミュージックも聞きながら、メタルミュージックを強く信仰するようになる。
『僕自身かなりガチガチなメタラーで、ギターもやっていました。特に速弾き系が好きでしたね。』
ギター速弾き
Yngwie Malmsteen(イングウェイ・マルムスティーン) 1988年
DOKKEN(ドッケン)1987年
Testament(テスタメント)Practice What You Preach 1989年
メタルバンドの代名詞『メタリカ』(俗にいうメタルマスター)
Metallica 1989 - 2013 (2時間32分のクリーピング・デス集)
(これはメタリカの代表曲「クリーピング・デス」=メタルミュージックの代表曲で、動画の作者はこの曲が好きすぎて1989年から2013年まで全部つなげたら2時間32分になったという常軌を逸した動画)
上に紹介したバンドはごくほんの一部であるが、1980年代は様々なメタルバンドが登場し、空前のメタルブームが世界を席巻した。
こうして啓少年はメタルミュージックを聴き、メタルギターを弾き、メタルバンドを組み、メタルTシャツを着て、ニキビに悩まされながら思春期のほとんどを過ごした。
そこからAMUSEに就職するまでの間、啓少年がどのような青春時代を過ごしたのかは私にはわからない。しかし一つだけ言えることは、彼はただのプロレスとメタルが好きな『キッズ』だった。
80年代に一大ブームとなったメタルミュージックであったが90年代に入ると次第にそのブームも陰りを見せ始め、グランジミュージック(ニルヴァーナ等)や、パンク、ポップス等が取って代わってゆく。
また日本では1989年(平成元年)あたりからバブル経済の崩壊が始まり、当時のメタルミュージックの様な派手で大規模なコストのかかるエンターテイメントは次第に敬遠されてゆく。
ちなみに1989年(平成元年)は、後にバンドマンの間では常識となる『インディーズ』という概念の基礎を作り、90年代の新たなバンドブームを作ったテレビ番組、三宅裕司の『いかすバンド天国』の制作をAMUSEがサポートした年でもある。
『あの番組は、メディア戦略に比重を置くというAMUSEの姿勢を決める1つの要因となった』と、当時の代表取締役社長 山本 久氏は語っている。
そんなこんなで90年代中期には啓少年が信仰していたヘビーメタルは、
『メタル?なにそれ?(笑)ださっ・・・(笑)』と鼻で笑われる肩身の狭い存在になって行った。
80年代にメタルを信仰していたキッズ達はこれから長い間、メロイックサインをポケットに隠しながら、道の端っこを歩いていくことになる。
地下に潜り細々と、隠れキリシタンの様にメタル布教活動してる者もいたが、小室ファミリーが台頭する音楽シーンでは、メタルミュージックなんて人々の頭の中から完全に消え去っていた・・・。
この歴史は当時の事を知らない人にとっては想像し難い出来事だと思うので、
『メタルキッズだった男が今でもメタルを忘れられずに生きている』というコンセプトの曲をお聴き頂こう。
このアーティストは2014年12月24日に放送されたNHK特番
「BABYMETAL現象 ~世界が熱狂する理由~」でナレーターを務めた冠 徹也氏のバンド『THE 冠』である。
彼は6畳一間のボロアパートでこの『BABYMETAL現象』をどんな想いで見ているのだろうか・・・。
こちらは動画と併せて是非歌詞も読んで頂きたい。
「僕が僕であるあまり 嫁が泣いている・・・。」
THE冠 傷だらけのヘビーメタル
とまあ、現代のこの国における『メタル』と言うものがどういう意味を持つのか、何となくお分かり頂けただろうか。このことを踏まえた上で記事を進めよう。
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『僕は30年前からメタルの大ファンなんです。正直に言うと、僕はメタル原理主義者なんだと思います。メタルをちゃんと聴いたことがある人が聞けば本物か偽物かなんてすぐにバレちゃうんですよ。』
『聖飢魔Ⅱのライブのあの「ミサ」感みたいなのは出したかったんですよ。』
世紀魔Ⅱは彼らのライブを「ミサ(教会での礼拝)」と呼ぶ。その他様々な設定を設けておりBABYMETALの演出をするにあたって多分に影響を受け、参考にしている。
『作曲家に発注をするときはメールに「神が降りてくるような」とか「召喚されるような」とかイメージの部分の注文は必ず入れます。』
『僕は常々、謎めいたメタルバンドに興味を惹かれていました。僕は、日常生活とはかけ離れた、みんながあれこれと詮索したがるようなものを作りたかったんです。ディズニーランドみたいな。』
日常の延長線上にある、手の届くアイドルではなく、非日常を提供できるアイドルにしたいと彼はいつも思っていた。古くからある、エンターテイメントの正しいあり方である。
かつてロブ・ゾンビという人も同じ事を言っていた。Rob Zombie - TOWER RECORDSインタビュー
『あまり細かく説明するのはやめようと思っていて。そうすれば後でお客さんに色々と想像してもらえるじゃないですか?』
『最近、バンドシーンは非常識を常識に変えてしまうような熱量に少し欠けていて、優等生が多くなってるんですよね。』
時代は常に変わり続ける。音楽においてもそれは顕著で、キッズたちは心から音楽を好きであるが故に、その流れに身を任せるのか、抗うのか、いつもいつも迷いながら生きているわけだが、彼はそのどちらでもない選択肢を選んだ。
それが何かはまだ定義できない。
ただ、彼は知っていた。
今、目の前にある事に真っ直ぐに向き合わなければ、その先の答えなんて決して与えてもらえないという事を。
最も大切なのは、己が今「何」であるかではなく、己が今「どう」あるべきかである。という事を。
『立ち上げに当たって、メジャーアーティスト・職業作曲家・ボカロP・同人音屋等、メタルとアイドルソングの良いところを持った楽曲をつくれる人材をひたすら探しまくりました。』
『観客の反応をゴールに、そこから逆算してコンセプトを作ります。歌詞・曲調・振り付け・リアクションなどのコンセプトが想定できてから作曲家に発注します。』
『もともとBABYMETALの曲は、多くがマッシュアップ的な技法で作られていて。集まってきた楽曲からAメロ、Bメロ、サビなどを別々に取り出してミックスします。』
『日本の音楽業界で仕事しているエンジニアで僕みたいなのとメタル共通言語で話せる人ってなかなかいないんですよ。探すのに本当に苦労しました(汗)』
『アレンジはよくtatsuoさんと相談して作っています。色々詳しくて話が合うんです(笑)』
tatsuo氏はゴールデンボンバー・仮面ライダーなどの作曲を手掛けるミュージシャンでバンドEversetのギタリスト。
同じ国に生きているからって、同じ業界にいるからって、自分の言葉が通じるとは限らない。仮に言葉が通じても、その人と「ご縁」があるかは分からない。このプロジェクトはまさに『メタルの神』が引き合わせてくれた「ご縁」のもとに成り立っている。
『時間がかかっても面白い方がいいって、どうしても思っちゃうんです。アイドルソングでここまで時間をかけて作っているという話は聞いたことがないですね。』
通常アイドルソングは、一人の作曲家がパアーッと曲を書き、スタジオでアイドルが2、3回歌入れをして終わり。彼はそんなインスタントラーメン的な音楽制作のあり方に疑問を抱いていた。
『妥協したら終わっちゃう気がしたんですよ。』
彼の中では「こうありたい。こうあるべき」と言うものがあった。
そしてそこに向かってひたむきに努力をした。
寝る時間も、手間も、金も、労も、決して惜しむ事なく。
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『メンバー3人の個性や自由なアイデアを大切にしたいとは、振り付け担当のMIKIKO氏ともよく話しています。』
MIKIKO氏は古くからPerfumeの振り付けを担当する振付師、ダンサーである。
彼女がいくらプロフェッショナルでもアイデアは常に泉のように湧いてくるわけではない。現場を重ね、キャリアを積めば尚更見えなくなるものも増えてくる。
しかしBABYMETALの3人は無垢である。子供である。
地上高130㎝ほどの高さからからこの世界を見てきた。
その小さな身体からすれば、世界はどこまでも広く、自由に感じられた。
彼女たちの、大人には生み出せない自由な発想や仕草はダンスの振り付けに多数取り入れられている。
「踊ってみた動画」がイマイチしっくりこないのは、BABYMETALのダンスは彼女達にしか踊れない、彼女達だけのそれであるからだ。
『制作サイドで練りに練って考えたことを逐一、彼女たちに伝えることはあえてしていないです。』
BABYMETALの3人はそもそも「メタル」が何なのかを知らない。
一番の年長のSU-METALでさえ1997年生まれ。生まれた時点でメタルなんてこの世になかった。そのアンバランスさやギャップがBABYMETALの面白味の一つであると彼は語っている。
『【ド・キ・ド・キ☆モーニング】が出来たときに、ライブ用の振り付けも完成させて、
「なんだこれ(笑)ひでぇ・・・(汗)すげえの作っちまったよ(笑)」ってみんなで爆笑しました。』
BABYMETAL - ド・キ・ド・キモーニング - Doki DokiMorning ...
BABYMETAL作品に関わっているクリエーター達は、世の中を斜めに見ているアンダーグラウンドな連中が多い。そもそもメタルミュージックには「悪意」が多分に含まれているわけだが、それを知っているメタルファンからすれば、「悪意」と「無垢」を組み合わせたBABYMETALを見ていると、
「これ、やっちゃ駄目なやつでしょ。マジでやっちゃうの?スゲぇな(笑)」と
「ド・キ・ド・キ☆」するわけである。
『多分みんな「こんなのメタルじゃねえ」って言うと思ってました。でも最初は怒られて始まろうかなって思ったんです(笑)』
『【ド・キ・ド・キ☆モーニング】発売時は自分らは相当盛り上がってたけど(笑)前例がないからどうかねぇって感じでした。』
『面白がってもらえるかなという予感はあったけど、ここまで注目が集まるとは予想だにしていませんでした。』
【ド・キ・ド・キ☆モーニング】はシングルカットされず、DVDとさくら学院CDの重音部の曲として発売された。
DVDのジャケットは、メンバー3人が地面に倒れていて、アイドルの命である顔も一切見えない。面白いアイデアだと自負していたものの、「実際こんなの買うか(笑)?」という不安は当然のようにあった。
ド・キ・ド・キ☆モーニングDVDのジャケット
ちなみに現在、AMAZONでこのDVDのオリジナルタオル付が58,000円で売られている。
びっくり!
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ド・キ・ド・キ☆モーニングwith骨バンド
『最初は生バンドじゃなくてもいいって思っていたんです。でもやってくうちに生バンドで見てみたいって思うようになっちゃって(笑)』
当初は骨の衣装を着た、当て振りバンド(エアバンド)とカラオケでライブをしていたが、音響の技術がかなり進歩している今でも、録音と生演奏では躍動感や音圧が格段に違う。
特に音質に重きを置くメタルミュージックではそれが顕著なので、彼は一人のメタラーとして許せなくなってしまった。
『しっかりと演奏できて、メタルの神に変身してくれる人、世界観を楽しんでやってくれる人を探すのに本当に苦労しました。普通の人間が後ろで演奏してたら世界観が壊れちゃうから。』
楽しそう(笑)
当初このプロジェクトには少ない予算しか与えられていなかった。これらを限られた予算枠の中でやるというのはかなりの高望みであった。
またBABYMETALではコンピューターで作曲をするケースも多く、人間が演奏する事を前提に作られていないフレーズも多くある。それを人間が再現するとなると、要求される演奏のレベル・テクニックがかなり高くなってしまう。なおかつ化粧をして自分の顔も名前も隠して、フロントはローティーンのアイドル、しかも曲はイロモノ・・・。
バンドとしての質にこだわるとなると、スタジオセッションの回数も増える。つまり時間がかかる。事前に楽譜を渡されて、前日に軽く合わせてハイ本番。でギャラのお支払い。っていう流れにはできないから、忙しいミュージシャンにはこんな仕事は到底受けられない。
スタジオミュージシャンなんて、向こう一年食えるか食えないかでやってる人がほとんどだから、これを気軽に受けられる者など簡単に見つかるわけがなかった。
『神バンドの最初のコンセプトは『テクニカル』でした。個人のスキルはもちろんピッタリと息が合った演奏が必須でした。』
しかも求めていたのは個人のテクニックだけでなくバンドとしての「一体感」。
いくら一人一人がプロフェッショナルでも、人間同士の仕事なのでどうしても相性が出てきてしまう。コンピューターとの協調性を得意とするプレイヤーもいればそうでないプレイヤーもいる。
レコーディングだけなら後で音をコンピューターでイジリ倒してどうにかできるが、生ライブで表現するとなるとごまかしが利かない。しかもメタルは演奏が細かい・・・。
BABYMETALではサウンドや演出、演奏テクニック、テクノロジーを高次元でピタリと融合させなければならず、間違いなく今の日本の音楽シーンにおいて類を見ないシビアな現場であった。
そんな中、一体感が出るかどうかはもはや「運と縁」が作用する範疇であった。
後にKOBAMETALは『業界人に評判がいい』と語っているが、それはコンセプトやセールスなどではなく、舞台関係者や裏方で仕事をしている人達は、このプロジェクトの本当の恐ろしさに気付いているからだ。
BABYMETALは今や日本が世界に誇るスーパープロジェクトである。
このチームは様々な面で限界に挑戦した。そのレベルはもはや異常である。
このプロジェクトは間違いなく、『日本人にしかできない仕事』をしている。
『神バンド対しては、女の子だから、アイドルだからって手加減はいらない。ゴリッゴリのバッキバキでやって欲しいって言ったんです(笑)』
『ヤバくないすか?歌が乗るのに爆音過ぎじゃないすか?ってバンド側が遠慮する事もあったんですけど、常に振り切ってくれってお願いしましたね(笑)』
スタジオミュージシャンは人の後ろで演奏するのが仕事だから、普通はどうすればボーカルが歌いやすいか、どうすれば歌が引き立つか等を考えて演奏や音作りをする。
特に仕事相手がデリケートな声の女性ボーカルであれば、尚更その人の声質の邪魔にならない音作りにしたり、歌いやすいようにテンポ感などにも気を使って極力ボーカルを殺さないように配慮する。「依頼された仕事」としてやるので自分のやりたいことなんて基本的に出さない。
しかしBABYMETALの現場は明らかに違った。
いくらプロデューサーから『振り切ってくれ』という指示があっても、『こんなんで女の子に歌えんのか?』とバンドの方が恐縮してしまった。しかも相手はローティーンだから尚更。
『メタルと名乗ってる以上はバンドでちゃんと魅せないと、って思ったんです。そのためには生バンドでの修行に出なきゃいけないなって。それで5月革命をやりました。』
音楽好きの中には、『音源が良くてもライブで再現出来なきゃ偽物だろ。』という見方をする人は結構いる。
何よりも彼こそが正にそうであったからそれはよくわかっていた。特にメタル好きではそれが顕著で、そういう人たちに訴えかける為にも、様々な現場で、様々な状況とトラブルに対応して、どんな状況下でもBABYMETALの音を再現するに足る経験値が必要だった。
『メンバーは3人ですけど、バンドが4人、マニピュレータ1人=実演奏者8人。スタッフなどは普通のバンドの倍以上。メイクも二人以上。3人用と神バンド用。スタイリストも同じ。かなり大所帯なんだけど、無理してでもやろうってなったんです。やらないと次に進めないって感じたから・・・。』
こういったプロジェクトの裏では、ステージにいる人間の他にも大勢のスタッフが動いている。内容にこだわれば外注スタッフ(その道のプロ)だって増える。当然経費も増えていく。衣装だって髪型だって、いわば演出用の小道具だから、その管理や運搬、調整、メンテナンスをするプロが必要になる。神バンドの衣装だっていつも誰かが洗濯し、誰かが楽屋の衣装掛けに吊っておかなければならない。
生バンドでやる以上、演奏者8人分の機材トラブルに対応できるだけの舞台袖スタッフだって必要だし、それこそ弁当の手配する人間だって、車の運転だって打ち上げの居酒屋を抑える人間だって必要になる。
子供みたいに「あれも欲しい!」なんて思っても、実現する為には経費を使って手配をしなければならないのだ。
それを考えるとカラオケ流してステージでアイドルを適当に踊らせておいた方がよっぽどリスクも少ないし、効率も、利益率だっていい。
そもそもアイドル事業の稼ぎ方なんてそんなもんだ。自分の金でやるなら好きにやればいい。だがこれはビジネスだ。経費だ。会社の金だ。俺たちはAMUSEだ!ちくしょう!回収できないならそんな仕事はクソだ・・・。
妥協してもいいタイミングなんて、いくらでもあった。
しかし、大人達がくじけそうになった時でも、日に日に肥大化してゆくプロジェクトの中で、BABYMETALの3人は常に高いプロ意識でフロントマンとしての「仕事」をしていた。
彼女たちの高いプロ意識と、時折見せる「あどけなさ」を目の当たりにする度に、大人達は我に返った。
やろうと思った。やり抜こうと思った。
やらないと次に進めないと思ったから。
ちなみにプロジェクトのスタイリスト系は原宿の美容室manisu manisuとtakahashi office|伊達めぐみに依頼している。もちろん彼女達も別の仕事を抱えている。スタッフが一人増えれば一人分の都合も増える。この他にも様々な都合を乗せながらプロジェクトは大きくなっていった。
こうした裏方の人達が、株式会社AMUSEが頭上に高々と掲げる『感動』を誰にも見えない縁の下でひたむきに支えていた。
北斗の拳/第4巻ライガ・フウガ兄弟
『骨バンド(エアバンド)の時も音はカラオケじゃなくて、マニピュレータにパラ(別々)で出してもらってた。キックもスネアもギターもベースも。普通のバンドと同じように別々の回線で。どうしてもカラオケのぺたっとした音が嫌で。なるべく生に近づくように。』
生バンドには決して及ばないが、一つ一つの音を別回線で出せば、会場の状況に応じて一つ一つのボリュームや音質も変えられる。彼は分離して音を出すことによって、臨場感や迫力を限界まで再現しようとした。「少しでも良くしたい」というKOBAMETALの気持ちは周りのスタッフ達にもダイレクトに伝わっていた。
『照明の人とかに「アイドルなのに暗すぎませんか?」って言われるんですけど、「いや、いいっす」って感じで。自分はバンド畑の人間なんで方法論が全く違うというか‥全てにおいて振り切ったものがいいと思っているので、変に淡い色とか使わないで、赤青白だけでいいです。とか。』
事情を良く知らないスタッフからすればこういった指示は「あれ?なんか他のプロジェクトと違う雰囲気だな」っていう印象を与える。「なんか面白そうな匂いがする(笑)」と感じて賛同していったスタッフも多かったように思う。
『映像を使うのは苦肉の策だったんです。MCなしで曲数も少ないから持たなくて(笑)』
KOBAMETALは日々演出をしながら「より良くするには」「より伝わる為には」を常に考え、試行錯誤していた。己への厳しさと、一歩踏み外せばプロジェクトは終わってしまうかもしれないという危機感がそうさせていた。
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『アイドルとメタルのどちらにも寄らない様には相当気を使ってますね。』
『【ギミチョコ】を書いてもらった上田さん(元THE MAD CAPSULE MARKETS、現AA=(エー・エー・イコール)とは、向こうのスタッフさんと元々知り合いだったんです。MADのライブも好きでよく見に行っていて、上田さんの出す音が好きだからそれをそのまま出してほしいって始めは依頼しました。』
『上田さんは作曲に関して、僕(KOBAMETAL)にしか作れないものがあるって、僕の感覚を凄く大事にしたいって思ってくれてたみたいです。』
『【メギツネ】はクリエーターのゆよゆっぺ君に36回デモ音源を作り直してもらいました。上がってきたやつに何度も修正を加えてもらって。詰めてやりすぎてパソコンがぶっ壊れたらしいですけど(笑)』
彼に関わる人は彼の熱意に相応の熱意で応えるようになっていった。
【メギツネ】の作曲を依頼されたゆよゆっぺ氏は、この時期が自身の中で最もきつい時期であったと語っている。
自分のDJの仕事や他にも何件も仕事を抱えている中、彼もまた徹夜を重ね、独りひたすらにパソコンに向かい、マウスポインタで「妥協の悪魔」を執念深く一つずつ殺していった。
ゆよゆっぺ氏
『当初から【イジメ、ダメ、ゼッタイ(IDZ)】のモチーフはありました。IDZの前までのの曲は原案はメタルじゃなくてポップをメタルに寄せてアレンジしていったんですけど、IDZはしょっぱなから「メタル」として作りました。』
『IDZ以前の曲は、正直僕自身もメタルじゃないって思ってて、変化球が多かったから、そろそろガチメタラーも唸るようなのを出したいなって・・・。だからIDZが受け入れられたときは、すっごい嬉しかったんです。やっとメタルの人と対話ができるって。』
『IDZは店頭で長々と売れたんですよ。普通はアイドルって初動セールスだけで終わるんですけど、視聴機でちゃんと聞いてくれた人が沢山買ってくれて、発売から数週間たって後もセールスが動いていたんです。』
『やっと届いたんだって思ってすごい嬉しかったです(笑)』
彼はこのプロジェクトの細部にいたるまで大事に大事に扱ってきた。
BABYMETALをぞんざいに扱う事は、メタラーだった自分の過去をもぞんざいに扱う事になるからだ。自分の手で自分のアイデンティティを汚す事だけはできない。
メタルの故郷へ手ぶらで帰るわけにはいかなかった。
『デビューアルバムは10代の層にどうしても届いて欲しくて、メーカーに無理言って通常版の価格を抑えてもらいました。』
1stアルバム「BABY METAL」
BABYMETAL好きを公言する方の中で、CD音源をきちんと聴いていない人がいるなら、改めて音源を手にして、しっかりと、しっかりと聴いてほしい。
アートワークも細部にまでこだわり、音源に関しては製作メンバー・スタッフ・エンジニア達が、これでもかと音に執着し、いじり倒して作った渾身の逸曲ばかりである。
YOUTUBEでは伝わってこない彼らの激しい息遣いがしっかりと聴こえてくるだろう。
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『反応は極端に「賛」と「否」しかないですね(笑)』
『音楽業界、関係者の方にはBABYMETALに興味を持ってくださる方が多いです。』
『僕らもここまでになるとは想像できなくて。本当にメタルの神がいるんだなと思って。』
『武道館まで行っちゃうと国内でやる事がだんだんなくなってくるんですよね。じゃあ外へ出て行くのがいいだろうと。』
『通常だったら武道館の次はアリーナツアー。その流れには乗らないほうがいいなと思って。中身にこだわってやってるのに届かないうちに消費されて終わっちゃう感じがしたので。』
『海外に行った時点では勝算なんて全然ありませんでした(笑)』
『海外のフェスは進行が全然違ってリハもないし、いやー鍛えられるなと思って。メンバーもバンドさんもスタッフさんも全員が必死でした(笑)でもまた一歩、結束力が強くなった実感はあります。』
『ソニスフィアは僕も人生で初めての衝撃でしたね。』
『既存のアイドルをマーケティングした結果にのっとって展開したところで、二番煎じにしかならないんですよ。他に作れない「オンリーワン」の存在になればいいのかなと。』
『メタリカの『スルーザネヴァー』をみんなで観たんです。舞台演出とかも最新の技術を使ってて、メタリカってポジションに甘んじることなく攻めてて凄いなって思って。やっぱり責めるのって大事だなって思ったんです。』
『今は、世界中からたくさんのオファーを頂いています。さらにもっと多くのワンマンライブもやります。』
『We are successful because we made an impression on people!』
(僕らは影響を与える事ができた、だから成功したんだと思っています。)
『軸がぶれないように、このまま突き進むしかない。最初は尖ったことをやっていても、注目が集まると大人の事情で丸くなってしまうことは往々にしてあるので・・・』
このムーブメントはいつか終わる。必ず終わる。
しかしながら、私は彼が切に望んだ「心に残っていく何か」を受け取った。
その男、KOBAMETAL 小林啓
「妥協したら終わっちゃう」気がしている、
大人になれない
メタルキッズである。
物事の表面にあるものだけを見ず、その裏にあるモノをひたむきに見ようとする姿勢。それは我々日本人の『もののあわれ・行間を読む』という世界に誇る文化である。
日本以外に活躍の場を広げているこのプロジェクトだからこそ、我々にしかできないエンターテイメントの味わい方を、今一度見直さなければならない。
それではまた。